「個人」と「職業人」の両面
今日、情報のファイリングをしていたら、
何年か前のボブ・パイク・グループのカンファレンスに出たときのノートが目につきました。
その年のボブの基調講演のノートでした。
講師である私たちの、講師としての側面と、
講師である前に、個人として、人間としての側面の話でした。
目の前にマッターホルンのような美しい山が見えている。
これが自分の姿だとする。
そのふもとには湖が広がっている。
その湖には山が映っている。
湖面に映った山もまた自分の姿である。
それは基本的に一体となっているので、切り離せるものではない。
講師としてはとても「良い人」なのに、
プライベートで見せる姿はそうではない、というのは成り立たない。
さらに、
「講師としての自分を高めることで、個人としての自分がより”良い”人になるか?」
もしくは、
「個人としての自分を高めることで、講師としての自分に反映されるか?」
おそらく、前者ではなく、後者であろう。
講師としてのスキルを磨くことは大切だし、
そのために今日ここにいるひとは、このカンファレンスに参加している。
でも忘れてはいけないのが、その前に、人間としての自分を高めなければ!
というような内容のノートでした。
話は少しズレますが、「ワークライフバランス」という言葉は好きではないんですよね。
その言葉、「ワーク」と「ライフ」は別々のものだという前提の考えですよね。
「ワーク」は義務で「ライフ」こそが自分のもの、とまでは言わないかもしれませんが、
なんとなくそんな響きに私には聞こえます。
そびえたつ山も、湖面に映る山も、
どちらも強く美しく輝く山でありたいなぁ・・・。
と、ノートを読み返して、襟元を正す気分でした!
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